長浜神社7月5・6・7日に行われる長浜神社夏季例大祭について紹介します。 俺の卒論の中にこの祭についての内容があるので、 祭りの紹介部分の一部を抜粋してみました。 経済効果についても言及しているのですが、あまり面白くないと思うので、 今回はカットします☆ ≪長浜神社≫ 県庁・市役所まで徒歩で5分かからないという県都・大分の中心部、 大分市長浜町にある長浜神社は、 応永13年(1406年)創建といわれ、 2006年で鎮座600年を迎える。 御祭神は少彦名命(すくなひこなのみこと)と菅原道真公で、 医学の神様と学問の神様である。 そのため病気祈願や合格祈願の参拝者が多く、 特に女性の参拝者が多いことから「おんなの神様」といわれている。 境内の絵馬堂には病気平癒の参拝者によってたいへんな数の絵馬が奉納されている。 また、縁結びの神様としても広く知られている。 長浜という地名からも分かるように昔はすぐそこが海であった。 近くに府内城もあり、非常に栄えていた地域である。 今では埋め立てによって海岸線は3~4キロ移動している。 この長浜で、年に1度最も盛り上がるのが 毎年7月5~7日に県内の夏祭りのトップをきって行われる大分の夏の風物詩とも言われる『長浜神社夏季例大祭』である。 この日は多くの人々で夜遅くまで賑わいをみせる。 祭を知らせる提灯や旗が町中に飾られ、境内には露店商がずらりと並び、 ボルテージが最高潮に達した時に、 祭囃子をBGMに可愛らしい子供神輿や勇ましい大人神輿が氏子らによって威勢良く担がれ、 さらに祭を盛り上げる。 昨年は金・土・日曜日という最高の日程であったため、 いつにも増して盛り上がりを見せた。 新聞・テレビでは必ず大きく取り上げられられるこの祭りは、 神社の祭りとしては県内最大級の規模を誇り、 大分の夏はこの祭りで始まるといえる。 この祭りは梅雨の真っ最中であるため、 祭期間中には雨の日が多いことから「雨の長浜さま」とも言われ多くの市民に親しまれている。 昨年も多聞に漏れず初日は台風を思わせるような激しい雨となったが、 6・7日は梅雨の晴れ間が覗き爽やかな夏祭りとなった。 この期間の夕方からは大変な賑わいとなり、歴史ある「見立て細工」の飾りや、縁起物の「おみか餅」の販売がある。 「見立て細工」とは、商店街の各々のお店がその年を象徴するようなものを、 各自の店の商品などを使って作るものであり、 祭りの見所の一つとなっている。 「おみか餅」とは、長浜祭りの期間や正月に売り出される縁起物で、 いわれはかつて「おみかさん」という名の女性が病気平癒の祈願をなされ、 無事に病気が治ったお礼に、お餅をつけた木を奉納したという古事からきている。 ネズミモチの枝に色とりどりの餅がつけられ、 700個限定で販売されているが、 かなりの人気があるらしく毎年すぐ売切れてしまう。 この三日間の祭での集客数はのべ10万とも15万とも言われている。 <神輿> 祭りの華はやはり神輿である。 長浜神社の神輿保存会は15年前に発足した。 市内中心部5ヶ所の神社の中では2番目に古い保存会である。 今の宮神輿は15年前に奉納されたもので、 江戸時代に当時の府内藩主であった十八松平の一つである安給(おぎゅう)松平氏によって奉納された神輿と共に神輿殿に飾られている。 二日目の17時半に宮出しが行われ、 大手町→城崎→中島→舞鶴町→長浜町→長池商店街→錦町→塩九升通り商店街の順に各町内を練り歩き、 歩行者天国に合わせて22時に(一昨年までは11時)に宮入りをする。 神輿の巡行で最も盛り上がるのは宮入りと商店街である。 太鼓・篠笛・鐘を使用する長浜囃子(チキリン囃子)が鳴り響く中、 左三つ巴の紋が入った紫の半纏に身を包んだ意気軒昂たる担ぎ手達の 「ヤッサヤッサ ヤッサヤッサ」の掛け声で下町らしい暴れ神輿が練り歩く。 江戸前の神輿と違う点は担ぎ棒がかなり短いのと、 担ぎ方・練り方である。 これが回したり暴れたりする激しい動きを可能にしている。 囃子も神輿同様に早テンポの激しい曲になっている。 この神輿の22時の宮入はかなりの迫力である。 神社前の交差点でとにかく練りまわし、暴れる。 辺りはもの凄い熱気に包まれ、担ぎ手も観衆も一体となって盛り上がる。 これが最高潮に達したとき、神輿は総先導によって神社のほうへ導かれる。 しかし、一度では入らない。鳥居の前まで行っては戻り、行っては戻ってまたひたすら練る。 これを何度か繰り返して無理やり鳥居をくぐらせる。 長浜の場合、鳥居をくぐったらもう練ってはいけない事になっている。 こうして無事に宮入を果たしたあとは、長浜伝統の豊後の手締めで締められる。 これが神輿渡御の一連の流れである。 |